• 安部修仁会長 インタビュー
  • おまけ:TVCM制作秘話(2016)

安部修仁会長 インタビュー

※安部会長は吉野家にアルバイトとして入店し、昭和47年に松田瑞穂氏に採用されて正社員として入社した。

吉野家築地一号店(1960年代)

松田瑞穂氏(1960年代)

──二代目社長、松田瑞穂氏の人となりや印象、思い出深い築地一号店でのエピソードがあれば教えてください。(癖や口癖などもあれば…)

江戸っ子、あまり多くは語らない人で、せっかち、すぐ行動に移す人、レスポンスが速かった。曲がった事が嫌い。一言で言えば侍のような人だった。
親父は服装にお構いなしだった。背広を着ていても、手ぬぐいをベルトに引っ掛けていた。
背広の裾をまくらず、シンクで丼を洗っていた。「この方が気にならなくていい」と言っていた。

──松田瑞穂氏に一番厳しく怒られたエピソードを教えてください。

スーパーバイザーになった頃、店への指導方法が評価されず、主張したが、こっぴどく怒られたことが一度あった。

──築地市場の吉野家はずっと同じ場所にあったのでしょうか?

戦時中に戦災で消失し、戦後は屋台として営業再開した。その後昭和34年1月に現在の場所に移った。当時は他の店舗を含めフードセンターと呼ばれていた。

──安部会長入店当時の営業時間は?

5時〜12時過ぎくらいまで

築地の店内(1970年代)

魚河岸フードセンター内・吉野家築地一号店
(1970年代)

──客層について

お客さんはほとんどが、市場の従業員だった。(一般のお客さんは少なかった。)
お客さんの服装→作業着のまま、腰には手かぎをぶらさげ、食べるときは壁の箸入れにぶらさげていた。
大体のお客さんは食べた後、黒文字(爪楊枝)を噛みながら職場へと戻っていった。
一日の来店者数→1000人くらい(15席ぐらいあったので1日66回転を実現していた)
混み具合→常に満席。ピーク時には、後ろに立ったまま食べるお客さんも沢山いた。
常連客の比率→ほとんどが常連さん。たまにビジターもやってきた。
男女比→ほとんどが男性だが、仲買人のチャキチャキのおばさん達がいた。
※常連さんは自分の席も決まっていた、ビジターが市場の主の席に座ると店がザワついた。

──お客様と店員との距離感は?

基本的に忙しいため会話は、なかった。(常連さんはいつもオーダーが決まっていることもあり)

──築地店の常連客1000人の注文(マイオーダー)をどの様にして覚えたのでしょうか?

築地のカウンターで働くなら、お客さんの顔もメニューも覚えないと、仕事にならなかった。

──店員さんの服装はどうでした?

写真の先代の格好と同じかんじ。

──店員さんの雰囲気は今と違いますか?

当時の築地店の「盛り付け」は特に速さと技術が求められた。

──築地一号店と他の店舗(有楽町店など)との違いはありますか?

朝6時、7時台が一番のピーク。
ピーク時は6人が働いていた。(飯盛り、盛りつけ、お新香付け、炊飯、洗浄、丼洗い)
正社員として入社後、築地で半年間の基礎教育を受けたが、新橋でのアルバイト時代に培った技術は活かせず、河岸特有の江戸前気質の厳しい顧客の要求と、親父の魂が滲み込んだ築地流に応えられず、多くの労苦と学びに満ちた期間だった。ここで吉野家の原点を刷り込まれた気がする。

※TVCMで使用された築地一号店の再現

※TVCMで使用された築地一号店の再現

──何か印象に残っているエピソードや、思い出に残っているお客様はありますか?

築地には市場の必需品である「手かぎ」があった。以降、店舗の備品として標準化されている。
お客さんの忘れ物のNo.1は手かぎだった。
親父からは、常に目線を利かし、機敏に反応せよと厳しく教えられた。熟練された店員の動きはとても速く、4倍速のように見えた。

──質問がやや重複しますが、こんな笑えることがあった。というエピソードがあったらお教えください。

カウンターの内側は水で濡れていて、長靴で滑りながら動いていた。
丼を同時に4つまで持って提供し、その様はまるでマジックのようだった。(ローラースケートで商品を運ぶ、アメリカのハンバーガーショップのような感じ)たまに、滑ってひっくり返る事もあった。
(カウンターの下が少し空いていたので)店員が滑るときの水しぶきがお客さんの足に掛かることがあった。常連さんは、慣れたもので、店員の動きに合わせて足を上げて、水しぶきが掛からないようにしていた。

──築地市場や世情についてお聞きしたいです。
安部会長が吉野家に入られた昭和40年代の半ばの印象で結構です。

当時の築地市場の雰囲気について、近くの大通り、晴海通りや新大橋通りの印象。
人と車が秩序無くごった返していた。
市場ではトロ箱を積んだ台車が行き交ってた。

※TVCMで使用された築地一号店の再現

※TVCMで使用された築地一号店の再現

──昭和43年まで近くを走っていた都電や昭和45年まで跳開した勝どき橋の開閉は見ていらっしゃらないかもしれませんが何か印象はありますか?

見たことはない。

──安部会長はまだ子供だったかと思いますが昭和30年代の印象について、特に思い出深い社会の出来事はありますか?

三井三池の炭坑の労働争議が身近に感じていた。

──東京について、どう思っていましたか?

学生運動、ヒッピーの時代。
新宿の雑踏で孤独感を感じた。

──東京タワー、テレビ放送、当時流行していたこと、覚えているものはありますか?

早くから家にあった。ディズニー、大相撲などを近所の人が観にきていた。

──東京オリンピックについて覚えていることがあれば教えてください。

日本中が湧いていた。

※一号店でお酒は10時〜11時頃から出ていた。
※安部会長は野方の寮で2ヶ月程入っていた。
※時給も高く、全寮制だったのでお金が全然無くても入れた。

築地一号店閉店まで

あと 日

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