築地の店内(1970年代)
魚河岸フードセンター内・吉野家築地一号店(1970年代)
──客層について
お客さんはほとんどが、市場の従業員だった。(一般のお客さんは少なかった。)
お客さんの服装→作業着のまま、腰には手かぎをぶらさげ、食べるときは壁の箸入れにぶらさげていた。
大体のお客さんは食べた後、黒文字(爪楊枝)を噛みながら職場へと戻っていった。
一日の来店者数→1000人くらい(15席ぐらいあったので1日66回転を実現していた)
混み具合→常に満席。ピーク時には、後ろに立ったまま食べるお客さんも沢山いた。
常連客の比率→ほとんどが常連さん。たまにビジターもやってきた。
男女比→ほとんどが男性だが、仲買人のチャキチャキのおばさん達がいた。
※常連さんは自分の席も決まっていた、ビジターが市場の主の席に座ると店がザワついた。
──お客様と店員との距離感は?
基本的に忙しいため会話は、なかった。(常連さんはいつもオーダーが決まっていることもあり)
──築地店の常連客1000人の注文(マイオーダー)をどの様にして覚えたのでしょうか?
築地のカウンターで働くなら、お客さんの顔もメニューも覚えないと、仕事にならなかった。
──店員さんの服装はどうでした?
写真の先代の格好と同じかんじ。
──店員さんの雰囲気は今と違いますか?
当時の築地店の「盛り付け」は特に速さと技術が求められた。
──築地一号店と他の店舗(有楽町店など)との違いはありますか?
朝6時、7時台が一番のピーク。
ピーク時は6人が働いていた。(飯盛り、盛りつけ、お新香付け、炊飯、洗浄、丼洗い)
正社員として入社後、築地で半年間の基礎教育を受けたが、新橋でのアルバイト時代に培った技術は活かせず、河岸特有の江戸前気質の厳しい顧客の要求と、親父の魂が滲み込んだ築地流に応えられず、多くの労苦と学びに満ちた期間だった。ここで吉野家の原点を刷り込まれた気がする。